「クソゲー」の認知と意識 June 24 1998、July 13 1998

緒言
ソフトがたくさんリリースされる、されないに関わらず、ゲーム機にはクソゲーというものが存在する。
これは漫才のネタと同じで、販売元が自信を持って販売したものでも賛成が多数を得られなければ「クソゲー」の烙印を押されて文化の奈落に落とされた。
この辺りは、「クソゲー」自体が一つの文化を形成し専門に研究されている。膨大な論文がインターネット上にも公開されているので、詳しくはそちらに譲るとするが、今回、このテーマの報告の背景には、「クソゲー」となりうる要素を持ちながらにしてクソゲーとはなり得ず、逆に「良いゲーム」として一般に認知されているゲームの存在にある。
今回の報告では一定の成果は得られなかったがある程度の考察をまとめておく。

材料、及び方法
今回供試したゲームは、ファミコン版アイレム「スペランカー」、ディスクシステム版ポニーキャニオン「ザナック」である。 各ゲームを満足する量プレイし、そのインプレッションをデータとした。

結果
各1ゲームずつプレイしたところ、「スペランカー」ははじめの1人をプレイ開始後すぐリフトにはまって死亡させ、その後、下方のトロッコ付近まで進んだが残機が無くなった。「ザナック」は13面途中でゲームオーバーになった。

考察
大半の人は、あるゲームを「クソゲー」と認知するための基準として周囲の情報によっている事が多いが、私としては以下の基準があると思う。
1、難しいが、クリア(ループの時は一周)できる
2、理不尽なイベント、マイキャラ事体に理不尽さがある
3、それなりに有名
「スペランカー」は「クソゲー」として既に有名である。「ザナック」について以上の基準に当てはまるものを列挙してみた。
1、クリアは可能。
2−1、「2」チップによって異常に敵の攻撃が激しくなる。
2−2、ボス戦で回転弾コアが多数存在する場合、ある程度パワーアップしていないと太刀打ちできない。
2−3、「アイアイ」を撃った時に通常弾が自機以外から出ている。
2−4、ボスは地上要塞なので、素通りすれば戦わなくて済むものを自機が弱くても停止して戦う。
2−5、「アイアイ」が出現するのに高速スクロールする場合が多い。
2−6、狂ったようにパワーアップチップのボックスが登場する事がある。
3、結構有名である。
以上から、十分その基準を満たしているといえる。
ところが、今回用いた材料に決定的な違いもある。それはゲームジャンルだ。そもそも、シューティングゲームに「クソゲー」は存在するのかという考えさえある。

つまり、アクションゲームやロールプレイングゲームなどのように自己の経験と照らし合わせ比較できるような内容のゲームほど「クソゲー」としての認知が進むのではないだろうか。

しかし、やはり、アクションゲームで考えられる基準をそのまま他の分野のゲームに持ち込むことには疑問が残り、他の基準を設定するとシューティングゲームにも多くの「クソゲー」を見出すことができる可能性はある。

摘要
アクションゲームという分野には「クソゲー」が多く、シューティングゲームには少ないのではないか、という課題が残った。これはなかなか興味深い問題であり、解明に期待する。